偏愛記

好きな人や物が多すぎて、見放されてしまわないために綴る愛。好きな歌とか、読んだ本とか、推しとか。

一瞬を生きつづける魔法使い

 

土の匂いが鼻をつき、柔らかい夜風が剥き出しになった首を包む。桜は少しずつその身を開き、花屋ではチューリップがこの世の主役とばかりに堂々と肩を並べる。私は眠りが浅くなって9時間とか寝ても眠たくて、夜になると毎晩不安が心に差し込んでくる。春だなあ。

 

春はaikoが聴きたくなる。まあ私は年がら年中aikoジャンキーなので春夏秋冬aikoを聴いているのだけれど、それでも代表曲である「桜の時」が歌う春という季節は、軽やかに飛び跳ねて歌うaikoのイメージに、ことさら合致する気がしている。

「春が終わり夏が訪れ桜の花びらが朽ち果てても今日と変わらずあたしを愛して」と、桜の儚さを目の当たりにして不安がるaikoも、「躓いて転んでも桜は綺麗だよ」と、咲き誇る桜に素直に励まされる素直なaikoも、どちらも心に染み入ってきて曲を聴くたびに泣きたくなる。本当にaikoのことを神様だと思っている。

 

恋のすごいところは、一瞬が永遠になるところだ。誰かを心から好きだと強く思う瞬間は、私たちが普段生きている時間軸とは別の時間軸にあって、たとえそのひとに会えなくなっても、嫌いになっても、それでもその瞬間の想いは、今もどこかでずっと生きている。それは太陽の光となって桜の花に降り注ぐかもしれないし、雨となって肩を静かに濡らすかもしれない。

夢見る少女みたいなことを語ってしまったけれど、それでも、信仰にも近い想いは、生まれ出た瞬間に私たちの身体を離れて、身体を乗り越えて、まったく別の次元で生きていくものだと、私は信じている。だからこそ、扱い方を間違えれば人を殺すものでもあると思うのだが。

 

aikoはその、別の世界で生きつづけているであろうあのときの一瞬を、これでもかとばかりに繊細な比喩で歌いつづける。aikoの歌を通して私は、あの一瞬の私に出逢い直すことができるのだ。いまも別の時間軸で生きている、あのときの一瞬に。そしてそのどこかで生きている一瞬が、ぺしゃんこになった身体に少しずつ空気を入れてくれる。ラブソングを歌いつづけるaikoがたくさんの人に愛されつづけるのは、一瞬を生きつづける別世界の私に、何度でも出逢い直させてくれるからだ。

やっぱり神様だと思う。あるいは魔法使い。

ananのaiko特集を読みながら、そんなことを思う。とりあえず新作のアルバム「今の二人がお互いを見てる」を聴けるまでは、生きていよう。

 

近くて遠い、資本主義

 

Ⅰ.

映画『秘密の森の、その向こう』を観た。陳腐な言葉になるけれどものすごく良かった。

淡々としながらもそこにひとの優しさが滲んでいて、雫が落ちて揺れる水面のように、その優しさはゆるやかに広がって私の胸に大きな波紋を残した。すごく静かで感情を揺さぶられる!って作品ではないのに、鑑賞後に外に出たときにその波紋に浸されていることに気づいて泣きたくなるタイプの、良映画。映画鑑賞後に外の風に吹かれてだけで、映画の余韻が滲んで目尻がじんわり熱くなる瞬間がとても好き。

映画自体としては、全然ストーリーは違うけどイメージとしては『西の魔女が死んだ』みたいな雰囲気と言ったらいいだろうか。ファンタジーと現実の境界がゆるむあの感じ。

 

以下、ネタバレありです。

 

映画のおおまかなあらすじとしては、主人公の女の子はおばあちゃんを亡くして、その悲しみを抱えたままおばあちゃん家の遺品整理を手伝い、その家の近くの森の中で小さな女の子と友情を育み、実はそれは昔の母で…という展開。

不思議なのが、この女の子たちはタイムトラベルする特別な道とか無しに、その森を通して過去の世界と現在を行き来すること。さらに現在を生きるパパとも昔のママは普通に会うし、過去を生きるおばあちゃんとも現在の主人公は仲良くなる。そっくりな二人を見ても、パパもおばあちゃんも何も言わない。ただ、let them make a friendshipという感じ(適切な日本語が浮かばなかった)。その適度な温かい放任が、心地いい。

主人公は、亡くなったおばあちゃんに"Au revoir"(さようなら)を言えなかったことを、ずっと悔やんでいる。本当はさようならと言いたかった、そんな切ない願いが、おばあちゃんと通じてあの森に魔法をかけたんじゃないかな。死者の近くで時間が変容することって、なんだかすごく自然なことのように私には思えてしまう。だから最後に車で走り去るおばあちゃんに"Au revoir"って言えた瞬間の場面が、おばあちゃん側はそんなつもりで受け取ってないかもしれないけど、それでもネリー(主人公)の気持ち的には報われたんじゃないかと、ずっと脳裏に焼きついている。

 

そしてそのような経験をしたネリーは、プチ家出から帰ってきたママをマリオンという名で呼び、抱きしめ合う。親と子って、"親子"として生まれてしまったから親子なだけで、他人として生まれていたら友達だったかもしれないんだよね。友達にもなってない可能性もあるけれども。というかそもそも、親子ってめちゃめちゃ他人で、だからこそ寄り添って傷を癒やし合うことができるかも。遠い存在だ、と認識することが、近い人間を愛するためのコツなのかもしれない。

セリーヌ・シアマ監督は、レズビアンフェミニズム映画で名を馳せている新進気鋭の映画監督だけれども、彼女が描こうとしているのはこの「近いからこそ遠い」関係性なのかもしれないと思った。近くにいる、同性である、女同士の遠い関係。

近くにいるのに遠い存在だ、なんて、片想いソングでよく聞くフレーズだけど、この考え方はあらゆる「想い人」「愛する人」に汎用できるのかもしれない。

 

Ⅱ.

映画を観てから、友達とご飯を食べた。狙っていたロシア料理のお店は閉まっていて、渋々駅前のイタリアンのお店に向かった。適当に頼んだフルーツサラダに載っていたチーズのミルキーな食感とオリーブオイルの味の融合が最高だった。

 

最近どの友達と会っても話題になるのが、「一人で生きるには生への重力が軽すぎること」だ。大学を出て、毎日働いて、自分の生活のために生きる。でもその「自分のため」は、頑張るための充分な理由として作用しない。私も私の友達も、比較的自己評価が低く自分なんて、と思う人が多いからか、自分のために頑張ることがただただ苦行なのだ。ただただ自分のために頑張って、楽しい気持ちも忘れて頑張って、何十年もそれを続けて、何になるの?と思ってしまう。「存在の耐えられない軽さ」って、こういうことですか?最近は、だからみんなパートナー見つけて結婚して子供産みたいとか思うのかな、とぼんやりと分かってきた。あるいはペット。他人の命がかかわるような、究極的な必然性を持ってしか、生への重力を確固たるものにすることはできないと思う。

私も友人たちも、資本主義競争社会に組み込まれて生きることを得意とするタイプではない。少なくとも私は、できることなら穏やかに、競争しないで、最低限の労働で、毎日小さな幸せを見つけて、本とか映画とかダンスとか自分のために時間をつかって…という生活がしたい。したいけど、現代日本のキャリアにおいて、そういう生活を求めることは、資本主義強者になれないことと同義だ。自分のために時間を使いたいけど、そういう時間を使うことに罪悪感すら覚えるほどに、資本主義から外れてしまうのはこわい。だから私は、この春から会社員になる。

いまから毎日週5出社資本主義競争社会に組み込まれることに怯えている。内定をもらったときは「内定くれるなら受け入れます!」って気持ちだったし、内定があることは本当に恵まれているけれど、その上でそもそもこの異様なほどの資本主義競争社会で生きなければならないことへの疑問は尽きない。好きなことをしているときだけ地に足がつく私の重力は、四月以降もきちんとはたらいてくれるのだろうか。それが軽くなりすぎたとき、きっと私は風船のように、どこかへ飛んでいってしまう。

冬の静電気

 

 

LINEの返信がない。インスタでメンションした相手からの反応がない。Twitterのリプライがない。きっとどんな人でもだいたいは忘れているだけで、実際に私も忘れて返せないということが多々あるのに、それだけのことに意味を探ってしまう。以前嫌われるようなことをしただろうか。何か良くないことを書いてしまったのだろうか。そもそもこうしてSNSで何かを言おうとしたことがよくなかったのか。

 


スマホでやりとりをすることが苦手である。無機質な文字でのチャットも、声しかない電話も、コミュニケーションを取るには圧倒的に不足したツールだと感じる。どんなに絵文字や顔文字や表現に気を遣おうと、声の温度に気をつけようと、何も伝わらない気がするし、何も伝えられない気がする。相手の身に纏う空気に触れることができないやりとりは、そこでのバックグラウンドを即座に共有できないやりとりは、私の中に微量ではあるが不安を呼び起こす。

その不安は静電気のように身体の中に蓄積され、あるときパチンと弾けるように人と関わるのが酷く怖くなってしまう。怖いなんて言葉で表せるものではなくて、本当に電流のように全身を痛みとなって走り抜けるようになる。髪の毛から指先までが痛覚となり、自分ひとりの真っ暗な部屋で泣いて眠る必要が生じてくる。

 


最近の涼しい風が蝉の死体を転がし、私に静かに秋の訪れを告げる。そのうち冬が訪れる。静電気を溜めてしまうばかりなのは、私の心が冬にあるからなのだろうか。いつかこの胸の気候が和らぎ、草木が芽吹き、動物たちが目を覚ます季節が訪れれば、そもそも静電気なんて溜めなくなって、スマホでのコミュニケーションも恐れず、気にせず行うことができるようになるのだろうか。人との関わりが痛みと化さず、むしろ胸の泉を絶えず湧かすような、歓ばしいものとなるのだろうか。

 


そんな日は来ない気がする。ある事があってから、ずっと真冬の凍えるような吹雪の中にひとり立ち尽くしているような気がする。誰のせいでもなく仕方のないことで私が努力すれば解決することなのに、私はこの冬景色の中から動けない。

 

スマホ越しじゃなくて、物理的にあなたと会いたい。触ってもらえなくても、近くに人にいてもらうことで、大丈夫だっていう冬の突き抜けた青空のような確信がほしい。

パチパチと耳元で音が鳴る。

唐揚げのレモン

 


先日、湯河原のとある旅館に宿泊した。3食ご飯を食べられるパックを選んだのだが、最後の昼食にでてきたのは唐揚げ定食だった。正確に言うと唐揚げ3個と海老フライ1個の組み合わせだったのだけれど、私は海老フライがそこまで好きではないので、友人に譲り代わりに唐揚げをもう一つ得た。

 


唐揚げの横には、小さな三日月のような一切れのレモンが慎ましやかに添えられていた。かけたくない人にはその思いを妨害しないように、かけたい人にはどうぞかけてください、とその身を委ねるように。昔なにかのドラマで唐揚げレモン論争についてのセリフがあったのをよく覚えている。しかし正直私はあの台詞には共感できなかった。別に唐揚げの横のレモンはあってもなくてもどちらでも構わない存在だからだ。本当にどちらでもいい。どうでもいい。そこにレモンがあるならかける。ないならないでまったく構わず食べる。どちらでも唐揚げは美味しい。

 


たとえレモンがあっても絶対にかけたくない。レモンがないなら自分で買ってきてでもかけたい。そのように、ゼロの状態から何かを志向し、絶対にこれじゃなきゃだめと拘り何かを選択したことが、今まで私にあっただろうか。そこにレモンがあるからかける。勉強という選択肢があるから進学をする。昔バレエを習っていたから今も趣味でダンスに通う。誘われるからご飯に行く。仕事を頼まれたから引き受ける。

 


ちょっとやだな、とか心の底で薄々思っていても、そこに既に在った選択肢のせいにした方が楽だから、そこにレモンがあるから唐揚げにかけるような感じで、すべてを結局は他人任せにして生きてきた。そこに選択肢がないときには、相手が提案するのを促し待った。それでうまくいかなかったら人に責任を押し付けて恨んで生きてきた。いつまでこんな風に生きるんだろう。柳に雪折れなしとか言うけれど、柔らかいから折れないというのは、ただ他人に任せて生きているから責任から逃れて自由に感じるというだけなのではないだろうか。私はもっと真っ直ぐに、吹雪の中でもモノクロの視界を垂直に貫く針葉樹のように生きていたいのに。

 


自分では何も決められないから、それで他人に任せておきながら「振り回される」と感じる自分が嫌だから、もう知り合い全員に見捨ててほしいとすら思う。全員に見捨てられて、嫌われて、自分の自分に対する罪悪感が正しいものだという確信を得て、そうやって誰にも悲しまれずに死にたい。でもここでも私はやはり「見捨ててほしい」と、他人を主語に据えた願望を抱いていて、この後に及んでどこまでも他人任せな自分に果てしなく嫌気が差す。

努力の方程式

 

フランス語の講読の授業を受けるたびに、先生が訂正する和訳の美しさに毎週純粋に胸を打たれる。私が唸りながらどうにか創り上げたつぎはぎだらせの一枚の布を、さらりと解体して綺麗なパッチワークを完成させるような工程。文が整理されていく過程のみならず、即座に選ぶ日本語まで美しいからものすごい。

先日は、直訳すると「夜になりかけの時間」みたいになる語をさらりと「夜の帳が下りてきて」なんて訳すもんだから、その日本語が咄嗟に降りてくる先生の語彙の海の広さに感動した。

まあでも考えてみれば至極単純なことで、研究者である先生方は、もう何十年も「フランス語を読み、訳す」という行為を繰り返し続けているのだから、私よりずっと容易く訳すのは当然のことだ。私のフランス語歴は、約6年。しかも不真面目な大学院生なので毎日読むなんてことはできていない。私がフランス語を読むために費やした時間なんて、先生方の積み重ねた時間の1000分の1にも及ばないのだろう。

ここで「読むために費やした」と書いたのは、読む/書く/聴く/話すはそれぞれ異なる時間として蓄積されていくと考えているからだ。その話は今回はここではしないけれど。

 

先ほどさらっと「何十年」という言葉を使ったが、何十年も一つのテーマに齧り付き、外国語を通して学び考え続けることって、物凄いことだと思う。

私は飽き性な上に比較的行動的な人間なので、「研究をつづける」という行為はできないなと去年のうちに見切りをつけ、就活をした。何か一つのことを飽きずに何十年も続けるって、わたしにとっては本当に信じられないことだ。

 

ダンスのレッスンに行く中でも、似たようなことをよく感じる。先生の動きを真似しているはずなのに、なんか身体の動線が違う。なんか視線の位置が違う。なんか呼吸のタイミングが違う。そんな「なんか違う」が重なった私のダンスは、先生のダンスとはまったく異なるものになる。ダンスの振りどころか、小さな基礎の動きですら、手足の形が違う。どんなに真似しようとしても、たどり着けない。

当たり前だ。私のジャズダンス歴はほんの一年強で、先生方とは蓄積されてきた時間が違うからだ。一年とか続ければそこそこ踊れるようになるんじゃないかとか始めた当初は甘い夢を見ていたけれど、現実はそんなことはなく、むしろできない点、気になる点が増えてゆく。変化できない自分に少し嫌気がさしてきて、辞めたくなる瞬間も訪れる。

先生方はきっとそんな瞬間を何度も何度も乗り越えて、それでも小さな基礎から大きな発表までを繰り返し積み重ね続けてきたのだろう。

 


さっきから「続ける」とか「積み重ねる」とか、そういう言葉を繰り返しているけれど、そうした反復の作業こそが努力の真髄なんじゃないかと思う。努力はだいたい、すごく瑣末なことで、泥臭い。その泥臭さに飽きずに向き合いつづけられるかどうか、それが努力ができる人とできない人を、分けている一線なんじゃないだろうか。

 

「努力」って意外と、人によって想像するイメージが異なる言葉な気がする。私は先述したように小さな作業を日々蓄積していくことを「努力」と呼ぶけれど、人によっては何か無謀にも見える挑戦をするとか、何かに対してすべての時間を費やして短期間でがむじゃらに頑張るとか、そういうものをイメージする人も多いんじゃないかと思う。

で、後者のような「努力」ができる人の「努力論」が蔓延して、後者のようなことを苦手とする人がなんとなく罪悪感を背負ってしまうような、そんな社会になっているような気がする。

でも、じゃあ後者が苦手な人が「努力」をしていないかというと全くそんなことはなくて、何かについてずっと思索を繰り返しているとか、美的感覚を静かに模索しているとか、社会問題に声を上げ続けるとか、そういう「小さく続けること」も「努力」なんじゃないかと思う。

 


先述したけどわたしは飽き性で、努力もどちらかというと短期間でガーっと何かを成し遂げる方が得意なタイプだ(ゆえに短期間でガーっと書いてたまたまいい感じになった卒論で調子に乗ってうっかり大学院に進学してしまい、現在とても苦労している)。そういう話は就活ではよくしたし、もしかしたら「社会」を生きていく上では便利に働くことも多いのかもしれないけれど、それでも、だからこそ私はずっと、泥臭い小さな作業を繰り返せる人に憧憬の念を抱きつづけるのだろう。

 


もうすぐ25歳になる。

35歳まで、ダンスを続けていたらいいな。フランス語を捨てていなければいいな。いま好きな人たちを好きでいられたらいいな。どんな変化が起きるかわからないけれど、一つの信念を強く持って、思索を続けられる人であれたらいいな。それらの「いいな」を「いいな」で終わらせずに済むように、努力ができるようになる努力をつづけることを、25歳の抱負にする予定だ。

 

 

光は最後にのこる

 

旧約聖書で神は最初に光あれと言ったけれど、わたしにとって光はいつも最後に残るものだ。会話の内容を忘れても、顔貌が朧げになっても、光だけはいつまでもまぶたの裏に焼き付いて、離れてくれない。

 

最近しょっちゅうキンプリのライブを思い出す(厳密に言うと次のライブに行きたいな〜と思いを馳せているだけなのだが)。前にもどこかで書いたかもしれないけれど、わたしはこの前たまたまアリーナの花道近くの席で参加することができて、結構な距離でメンバーたちを見ることができたのだった。ライブの後にApple Musicでセトリをプレイリストにしたから、曲を聴いているとライブの様子を思い出すことができるのだけど、彼らのパフォーマンスや発言や表情それ自体というよりは、ドームを貫く閃光とか、衣装に施されたスパンコールとか、メンバーのつけていたピアスの一瞬の煌めきとか、そういうのばかりがまぶたの奥を埋め尽くす。

 

思えばaikoのライブもそうで、コロナ前に2回花道前でzepp tokyoでの参加できたことがあったのだけど、その2回もずっと、aikoの指輪ばかり見ていた気がする。目を合わせてくれたこととか、手を伸ばしてくれたこととか(コロナ前のaikoはライブで本当にファンと触れ合っていた)、思い出すべきことは他にたくさんあるはずなのに、なぜか私の脳裏を真っ先によぎるのは、aikoの指を覆うシルバーリングたちの眩しさだ。

 

さらには実際に関わりのある人についてもそうで、私はいつも他人の身につけている光ばかりを目で追っている気がする。ネックレス、リング、ブレスレット。

むしろその顔を思い出そうとするときに写真を見るときのように明確に描けることは少なく、印象派のようにぼんやりと、あるいはキュビズムのように多面的に、その顔は顔ではない何かとして現れる。

それでもその人の身につけている光が、私にとってその人がその人である証明となる。

 

人でなくても光ばかりを目で追っているかもしれない。水面の上を踊るように反射する陽光、豊かに茂った葉の隙間から柔らかく差し込む木漏れ日、駅の電光掲示板、エスニック料理屋さんのランタン、眠れない夜に意味もなくスクロールするスマホの画面。地域猫として愛される猫ちゃんのビー玉のような瞳。

 

瞳。人間の瞳を眺めるのも好きだ。アクセサリーとして身につけるものではなく、人間が元から持っているその人だけの光るもの。日本社会では目の前の相手をじろじろと眺めることはあまり相応しくないとされるものの、私は人の虹彩を見るのがとても好きで、話すときについ真っ直ぐに見つめてしまう癖がある。

そして私は自分の瞳の色も結構気に入っている。少し赤みがかったブラウン。先日生まれて初めてカラコンを購入したのだけど、装着してみて「なんか違う」と思ったのは、きっとこの私が私らしさと定義する光が失われてしまったからなのだろう。コンタクトの上にレースのように繊細に描かれた明るい茶色の模様はとても可愛いけれど、これは私の光じゃない、と思ったのだ。今日も久しぶりに付けたけれど、途中で外してクリアレンズに切り替えた。今後も付ける機会はあまりないだろう。カラコンはフリマアプリに出せないから勿体無くて少しだけ悔しい。

 

私が他人の光ばかりを覚えているように、誰かが私のことを思い出すとき、それが私の光だったらいいなと思う。私の瞳の明るさとか、4つのピアスとか、重ね付けしてる指輪とか、コインモチーフのネックレスとか、アイシャドウのラメとか。私の顔なんてどうでもいい。自分の顔はそんなに好きじゃないし。

それより私の光を覚えていて。『ノルウェイの森』の直子みたいなことを言うけれど、私のことより私の光を覚えていて。そんな寂しい祈りを込めながら、私は日常のアクセサリーやメイクを選んでいるのかもしれない。

 

私にとっての光はこういうイメージのものだから、世の中で人気の「光」がテーマのJPOPとかとは少し相容れないところがある。でも最近読んだ松浦理英子の『ヒカリ文集』は、まさにそんな光の話だった。ある劇団で超モテていた「ヒカリ」という名を持つ女性が、あるときを境にぱったりと姿を消すものの、彼女との思い出は劇団員たちの中にそれぞれの「光」として、お守りのように残りつづけているという物語だ。アクセサリーやメイクといった具体的なイメージとしての光の描写は少ないが、それでも観念としての光は、私のものととても近いように感じた。

 

どうしてこんなに光ばかりを追ってしまうのだろう。寂しいからか、不安だからか、とてつもなく怖がりだからか。いつになったら現実をフラットに見つめられるようになるのだろうと思うけれど、もしかして死ぬ直前にも、私の脳裏をよぎるのは、人生の走馬灯などではなく、私が人生で出逢った光の集大成のようなものなのかもしれない。それでその光に吸い込まれるように終幕を迎えるのかもしれない。そう思うと、常に胸から離れない死への恐怖も少し和らぐ気がする。そうだったらいいなあ。

光よ、最後にのこれ。

 


余談だが、私はヨドバ◯等の電化製品屋さんがめちゃめちゃ好きだ。なぜならそこには新しい光が溢れているから。こんなに光を増やしてくれるなんて、テクノロジー最高!現代社会ありがとう!と、常々思っている。今度だれかヨドバ◯でデートしませんか?

 

 

 

就職活動と「あきらめること」

 

今年の「群像」二月号だったか、くどうれいんの「 あきらめること」という短編をよく覚えている。その中で、 妻を持つ佐原という男と、主人公である「わたし」は、 二人で逃避行に出かけながらこんな会話をぽつりと交わす。

 

「灯さん、荷物を少なくするコツはひとつだけあります。 あきらめることです」
「あきらめること」
「うん、もしこうなったらどうしよう、 万が一これが足りなくなったら、 もしここでこんなことが起きたときのために。 そうやって増えるんです。だから、 何が起きちゃってもいいやってあきらめると、 あきらめた数だけ荷物は減ります」
講談社「群像」2月号 p.35-36)


私はここ数年、「あきらめること」 を少しずつ覚えてきていると思う。未だに下手だけど、 以前よりは格段に「あきらめること」 ができるようになってきている。この台詞に則って喩えるならば、 荷物を増やすことはやめられないのだけど、 少しずつ荷物を下ろすことには慣れてきた、という感じ。

いつだって不安だし万端に準備はしていたいから、 リュックは常にパンパンで、 肩を凝らせたまま一生懸命に旅をするのだけれど、 旅をしながら少しずつ荷物を路上に捨てたり、誰かに分けたり、 目的地を変更したり、 そうすることでだいぶ楽に旅をできるようになってきた。たぶん。


勿論やれるところまではやる。がむしゃらにがんばる。でも、 努力!友情!勝利!なんて言葉はやっぱり幻想で、 どんなに努力したところで友情を失うこともあれば、 ましてや勝利なんて得られないことの方が多い。何をもって「 勝利」と定義するか、にもよるけれど。 努力が裏切らないのはそれが自分vs無機物or概念である場合のみで、その対象に他人が絡んできてしまうと、 それは本当に努力の範疇でどうにかできるものではなくなってしまう。大きな戦争から小さな隣人との関係まで、他人だけは絶対に、 何を持っても変えることができない。

このことに真の意味で気がつくまでに、 私は四半世紀近くがかかった。気がついてからも、 そのことがひたすらに悲しい。


就活は企業との戦いというよりも、圧倒的に人との戦いだった。 当然だが企業という組織の中にいる人との戦いだった。

「 あんな仕事がしたい」「こんな人と働きたい」 私のリュックの中で膨らんでいた夢は、 ボリュームのある綿菓子のようで、 初めの私は重みすら感じずに無限に走りつづけることができた。 リュックの中身を書き出したESを提出して、 唯一努力でなんとかなるテストは対策をして、 面接でもリュックの中身を披露して、 その中身に原石を見つけてもらえて突破できたときは本当に嬉しか った。


なのに、 二回連続で最終近くでそのリュックの中身を丸ごと否定されるという事件が起きた。本当に、丸ごとだった。否定されるというか、 リュックを目の前でひっくり返されて中身を突然踏みつけられるような出来事だった。 私は驚きながらも笑みは絶やさず必死に荷物を詰め直したのだけれど、綿菓子は途端に冷たい石の塊に姿を変え、 体にはリュックの重みばかりが響き、 目の前の道は霧なのか涙なのかわからない薄膜でぼやけ、 私は動けなくなった。そこからは、 リュックの中身すら判別できなくなり、 書類も面接も圧倒的に通過率が悪くなった。 同じような年齢や性別の面接官に同様の質問をされるだけで頭が真っ白になった。こんな風になるならば、 最初からリュックに夢など詰めなければよかった、と後悔した。


最初から、 即座に他人に変身できるようなマントだけポシェットに詰めて、 身軽な格好で旅に出ればよかったのだ。「あきらめること」で、 佐原さんが言っていたみたいに。


それでも少しだけ荷物を整理して予想外の方向へ進んでみたら、 私のリュックの中身を見初めてくれる人々とも出会えた。 今度はあの時とは反対で、 リュックの中身すべてに興味を持ってもらえて、 残った靴跡を撫でてもらうような感じだった。 その人たちと出会えたのは本当に私の気まぐれがもたらした結果だったので、やっぱり努力なんかより運が「勝利」 をもたらすのだと思った。


四半世紀近く生きて、ようやく荷物を途中で整理したり、 道を変えてみたり、 そういうことに対する抵抗が減ってきたような気がする(この道は、あくまでも「自分で定めた道」を指している)。 就活だけではなくて、 人間関係における執着心や愛憎のようなものも少しずつ手放せるようになってきているような、気がする。気だけしている。


ここからまだ生きられるとして、 私はもっともっと荷物を捨てたり、 道を変えたりする術を少しずつ身につけていくのだろうか。 いつかはボロボロのリュックすらも手放して、 ポシェットすらも身につけず、本当に身一つですべてを「あきらめ」られるようになるのだろうか。
なってほしいと思う。でも、なってほしくないとも思う。それはとても幸福なことで、同時にとても寂しいことだと思うから。

それを寂しいと思うのは、私が私であるからだろうか。 佐原さんは、「あきらめること」 それ自体を寂しいと思ったことはあったのだろうか。これを読んでくださっている、皆さんはどうですか。


私は生きていくことは、少しずつ何かを諦めつづけていくことで、 何かを手放していくことで、 その際に生じる痛みや寂しさをも自分のものとして受容し、 自分の中に様々な色を増やしていくことなのかもしれないと思っている。幸福は、黄色とかピンクとかそんな鮮やかな色じゃなくて、 青とか燕脂とか様々なら色が溶け合った殆ど黒に近いような色なのかもしれないと。そう思ってしまうのも、 私が私であるからなのだろうか。