偏愛記

好きな人や物が多すぎて、見放されてしまわないために綴る愛。好きな歌とか、読んだ本とか、推しとか。

カップラーメンチーズカレー味

 

職場にお歳暮とかのお菓子を置くスペースがあるのだけれど、そこに、ペヤングの焼きそばが二つ置かれていた。「ご自由にどうぞ!」という付箋が貼ってある。先輩が家用にペヤングを買いすぎてしまい、余った分を持ってきてくれたようだ。

わたしの家はみんなカップ麺が好きで、電子レンジの上には常に新作のカップ麺がストックしてある。SNSにそこまで通じているわけではない父がなぜかいつも一番嗅覚が敏感で、常に発売日とかに新作を買ってくる。それを私と妹の娘二人で奪って食べている。

そんな家庭に育ってきたので、今回のペヤングもいただくことにした。今日の夜ご飯に食べようかな。普通にご飯があっても、カップ麺は別腹だ。

 

いつからカップ麺を好きになったかは明確には覚えていないのだけれど、少なくとも高校三年生のときには、カップ麺はわたしにとって身近な存在だった。高三の受験生の夏、深夜に泣きながらチーズカレー味のカップラーメンを食べたことを覚えているからだ。

わたしはその夏塾に毎日通っていて、その塾には高校の同級生のAちゃんもいた。わたしは国際系の大学に行きたくて、Aちゃんにははっきりと志望校は聞いたことはないけれどたぶん似たような志望のはずで、同じような目標がある友達がいるってすごく心強いな、と思っていた。

そんなAちゃんが、ロビーでスタッフと面談をしていた。近くを通って聞こえたのは、推薦が決まったから退塾する、という内容だった。

 

裏切られた、とおもった。わたしの第一志望には推薦がなくて、わたしは最後まで受験をするしかなかったから。「最後までがんばろうね」って、この前話したのに。水面下で推薦の話を進めていたなんて。その推薦は、わたしの成績だったら取れるところでもあったので、「妥協」したように見えた彼女を尚更許すことができなかった。いま思うと、それは「妥協」ではなく「選択」だったのに。

18歳は、若い。若いから、自分と他人を区別するのが難しい。みんな頑張っているのに。わたし頑張っているのに。推薦で進学するひとは、みんなが頑張る受験を放棄したずるいひと。受験すればもっといいところに受かるかもしれないのに、努力を諦めたダサいひと。受験勉強に邁進する自分を正当化するために、わたしは彼女たちを「妥協したダサいひと」と考えるようにしていた。

なのに。ダサいのに、なんでこんなに悔しくて苦しいんだろう。

 

自習室が閉まる9時まで勉強をして、いつも通り帰路に着く。親にLINEで彼女への罵詈雑言をぶちまけて、涙をこらえながら電車に乗る。勉強と「裏切り」で二重に疲弊していたわたしには、最寄りの駅前に燦然と輝くスーパーの看板はとても眩しくて、光に吸い寄せられる虫のように中へと入っていった。裏切られた自分が惨めで情けなくて、もうなにかすごく身体に悪いものを食べないと気が済まない。そう思ったわたしは、まっすぐにカップ麺コーナーに向かって、カップラーメンのチーズカレー味を2つ、手に取った。

あり得ないあり得ない味方ヅラして裏切ってふざけんな、叫びながら涙を流しながら3分を待ち、貪るようにカップラーメンを食べた。空になったらまたすぐにお湯を沸かし、もう一つのカップラーメンを開けて、また3分間罵詈雑言を放ち、涙にまみれながらカップラーメンを食べた。

 

カップ麺売り場に立つたびに、あの夜のことを思い出す。あれから8年が経った。その間にわたしは、第一志望の大学に入学して、憧れていた国に留学して、学びたかった分野で大学院に入って、大好きな本に携われる仕事に就いた。いろんな人に出会って、泣いたり絶望したり、死にたくなったりもしたけれど、なんとか今日を生きている。

なんというか、遠くまで来たなぁ、と思う。

いまはお金があるから、許せない!と思うようなことがあったなら、マッサージに行くなり化粧品や服を爆買いするなり、高級な料理を食べるなり、もっと別の方法で鬱憤を解消すると思う。深夜に泣きながらカップラーメンチーズカレー味を2個連続で食べることは、きっともう無い。でも、あの夜があったからこそ、今のわたしがあるとも思うのだ。

 

今夜のペヤングは、きっと笑いながら妹と分け合うだろう。